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広告代理店に任せる際の注意点:依頼前に知っておくこと

高田晃太郎
広告代理店に任せる際の注意点:依頼前に知っておくこと

統計が示す現実は、任せれば自動的に成果が出るほど広告運用が単純ではないということだ。ISBAとPwCのサプライチェーン調査では、2020年時点でプログラマティックの支出における“unknown delta”(経路上で所在が追えない支出割合)が約15%存在したと報告され、その後のアップデートでは縮小傾向が示されたものの、完全に解消されたわけではない¹。ANAのサプライチェーン研究でも、MFA(Made for Advertising。広告収益最大化に特化した低品質サイト)³への配信が想定以上に混入していたことが示されている²⁵。さらにJuniper Researchは、2023年時点でオンライン広告費の約2割が不正により損失しているとの推計を公表している⁴。つまり、何をどこまで代理店に委ね、どのデータで意思決定するのかを定めないまま発注すると、予算の1〜2割が静かに蒸発しうる。iOSのATTやサードパーティCookieの縮小で計測は揺らいでおり、技術とガバナンスを握る立場のCTOが、依頼前に土台を設計する意味は過去になく大きい。広告代理店の選び方や委託契約、プログラマティック広告のリスク管理まで、依頼前チェックリストの解像度を上げることが本稿の目的だ。

なぜ“任せる前”の設計が9割なのか

広告の成果は運用スキルだけでは決まらない。入札の前提となるデータ品質、イベント計測の一貫性、アカウントや在庫経路の透明性、そして意思決定のKPI設計が連鎖し、総合として効率を規定するからだ。研究報告では、供給経路(サプライパス)を最適化(SPO: Supply Path Optimization)することで手数料や在庫品質を改善し、媒体実効CPMを一桁台のパーセントで押し下げられたケースが示されている¹。同じクリエイティブ・同じ入札でも、データとガバナンスの設計差でCPAは2〜3割動いてもおかしくない。技術組織が最初に行うべきは、代理店の運用力を活かせる“場”を設計することだ。

CTO視点の委託領域と責任分界

委託の線引きは、次の三層で考えると整理しやすい。媒体や入札・クリエイティブ最適化は代理店の強みが出やすい。一方、計測の仕様やデータパイプライン、ID戦略、ブランドセーフティ基準、アカウント権限設計は広告主側が握るべきコアに近い。運用は任せるが、計測とデータの“定義”は渡さないという原則が、のちの議論を減らす。

不透明コストの想像以上のインパクト

月1,000万円の配分でunknown deltaが1割程度残っていると仮定すると、それだけで100万円前後が成果検証に寄与しない領域に消える計算になる¹。ブランド適合性の低い在庫が2割混ざれば、オークションの効率もクリエイティブ学習も歪む。最初に削るべきは“見えるコスト”ではなく“見えない摩擦”だ。委託前の要件定義と契約で、この摩擦を明文化して可視化する。

依頼前に固めるべき要件と準備

任せる前の準備は、目標の定義から計測仕様、データアクセス、クリエイティブのハンドオフまで一気通貫で整える。短期の獲得効率と中長期の成長指標を同じ土俵で測るために、増分(インクリメンタル)という観点を最初から入れておくと後工程がスムーズになる。広告代理店への依頼前チェックリストとして機能させたい。

ビジネスKPIと計測イベントの“同時設計”

売上や新規有料申込、MRR、LTVなど事業KPIと、広告が直接動かせるCPAやROASは別物だ。重要なのは、広告が動かした“増分”をどの指標で捉えるかを先に決め、イベント設計を合わせることだ。例えば、目標を「90日LTVあたりの増分粗利÷広告費で1.2以上」とするなら、イベントログには初回コンバージョンだけでなく課金継続や解約も紐づけ、媒体側の最適化イベントは短い代理イベント(例: 高品質リード指標)で代替しつつ、バックエンドでLTVを推定して評価する。“媒体最適化イベント”と“事業評価指標”を分離する設計が現実的だ。

データ可視性とアクセスのルール

代理店がレポートを作るのと同時に、広告主側でも原データにアクセスできる状態を確保する。媒体APIやデータクリーンルーム(プラットフォーム横断の安全な集計環境)、計測ツールから日次で費用・配信・コンバージョンのログを取り込み、アカウントやキャンペーン、プレースメント、クリエイティブ単位で粒度を揃える。これにより、代理店の可視化と独立に、社内のデータ基盤で因果検証や予算配分のシミュレーションを回せる。ログレベルのアクセス権は“レポート納品物”ではなく“契約上の権利”として明記しておくと安心だ。社内のデータガバナンス観点では、権限はSSOで付与し、プロジェクト終了時のアクセス剥奪手順まで合意しておく。

クリエイティブと開発のハンドオフ

LPの表示速度や追跡タグの実装、サーバーサイド計測(例: コンバージョンAPI)などは、運用の成否を決めるが責任が分散しやすい領域だ。Core Web Vitals(CLSやLCP)が悪化すればCPCは上がり、CVRは下がる。タグは冪等な実装を心がけ、重複計測やコンバージョンの二重送信を避ける。クリエイティブのバージョニング、ABテストの命名規則、タグのリリース管理を“共同の運用手順”として文書化し、週次の変更管理で合意する。関連トピックは社内ナレッジとしてまとめておくとよい。参考として、社内運用体制の構築に関する考え方はインハウスメディアチームの作り方に詳しい。

契約・運用設計で見落としがちなポイント

契約は“費用の枠”ではなく“透明性と改善速度の装置”だ。手数料モデル、アカウントの所有権、在庫経路の開示、ブランドセーフティ、広告不正対策、SLAのすべてが、最終的にCPAと学習速度に跳ね返る。広告代理店の選定・契約ではここを明確化する。

手数料・アカウント・在庫の透明性

コミッションやレテイナー、成果報酬のどれを採用しても、透明性が担保されなければ運用の質を評価できない。媒体への支払いフローは広告主のアカウントに統一し、アカウントの名義は広告主、代理店は管理権限で入るのが原則だ。プライベートマーケットや優先ディールを使う場合には、SPO(サプライパス最適化)方針と経路数の上限、第三者ベリファイアによる在庫評価(ビューアビリティ、ブランド適合性、無効トラフィック検知)の導入を契約に含める。媒体やSSP、DSPでの手数料とマークアップは開示を求め、少なくとも月次で実効eCPMとビューアビリティ、IVT(Invalid Traffic。無効トラフィック)率を報告対象にする。

ブランドセーフティと広告不正対策

ブランド毀損は一度の事故で年間の獲得効率を吹き飛ばす。ベリファイア(IAS、DoubleVerify、MOATなど)の導入はコストではなく保険に近い。対象はビューアビリティだけでなく、コンテキストとMFA検知を含めるべきだ³。除外リストよりも“許可リスト中心”の配信と、定期的な棚卸しが効果的で、見えにくいロングテール在庫の露出を抑えられる⁵。アフィリエイトを併用するなら、計測の重複やインセンティブの逆選択を避けるために、ラストクリックの優先順位と不正パターンの審査ロジックまで共有する。

SLAとレポーティング、改善の速度

レポートは見栄えではなく決断の速さを生むために存在する。日次の主要指標、週次の実験サマリ、月次の増分評価というリズムを合意し、レポート元データへの読み取りアクセスを確保する。異常検知の閾値や通知経路、クリエイティブの停止条件は、担当者の勘ではなくルールとして定義する。SLAには運用アクションのリードタイム(例: 予算再配分、入札調整、クリエイティブ差し替え)を明記し、障害時のエスカレーションも段取りしておく。成果報酬を入れる場合は、インクリメンタリティの定義と検証手順を契約にひも付け、“計測の仕様を握る者が評価を決めない”という独立性を担保する。

測定と改善のフレームワークを先に決める

計測が曖昧だと、いずれ最適化は悪い方向に収束する。媒体の最適化は短期CVに強く引っ張られがちで、長期LTVやブランド効果は取りこぼされるからだ。依頼前に、帰属ロジック、実験設計、モデル化の方針を決める。アトリビューションの限界とインクリメンタリティの測定、MMMの役割まで、評価軸を二重化する。

帰属と実験、MMMの併用

ラストクリックは簡単だが偏りが強い。MTAはユーザーレベルのデータが減る環境で不安定になりやすい。こうした制約の中で、因果を測るための実験(ジオ分割やPSA切替、媒体のコンバージョンリフト。PSAはPublic Service Announcement=公共広告への差し替え)と、全体最適を見るMMM(マーケティング・ミックス・モデリング)を併用する考え方が現実解になる。短期は実験で増分を捉え、中期はMMMで予算の配分比率を再設計し、長期はブランド指標とLTVで成果を補足する。データクリーンルームはプラットフォーム間の安全な集計に有効で、個人データを持ち出さずに増分検証を行える。基礎の考え方はMMM入門CDP導入ガイドを参照してほしい。

指標の二層構造と意思決定ルール

現場はスピードが命だが、事業は一貫性が重要だ。そこで指標を二層に分ける。現場のダッシュボードは媒体最適化に必要なCV、CTR、CPAを扱い、経営サマリは増分粗利、90日LTV、チャーンを扱う。現場は代理イベントで速く動き、経営は増分で遅く確かめるという構造が、短期最適と長期最適の衝突を和らげる。意思決定ルールは文章で残し、例外運用は会議体で承認する。これにより、代理店の運用速度と、広告主側の統制、両方のメリットを活かせる。

コストの式と、合意しておくべきしきい値

意思決定は式にすると揺れが減る。広告費、媒体・ツールの手数料、代理店フィー、ベリファイア費用、開発・クリエイティブ工数をすべて含めた“総コスト”に対して、増分粗利がどれだけ上回るかを評価する。式は単純で、ROI=(増分粗利−総コスト)÷総コストだ。代理店フィーやベリファイア費用は、unknown deltaの削減と在庫品質の改善で十分に回収しうる¹²³。たとえば、eCPMを5%下げ、IVTを2ポイント改善し、CVRを0.2ポイント引き上げるだけで、CPAはモデルにもよるが一割前後改善することは珍しくない。委託前に、許容CPAや最低ROI、異常時の停止条件を“数値”として取り交わすと、議論が早い。

RFPと評価、関係を長持ちさせる運用

RFPは競争入札の儀式ではなく、学習速度を見極めるテストだ。どれだけ早く仮説を出し、どの粒度で検証し、いつ捨てるか。その作法が自社の運用哲学と噛み合うかを見る。評価は提案書の華やかさではなく、仮説の“検証手順”に重心を置く。提案の中に、イベント定義やログ取得、SPOポリシー、ブランドセーフティの初期設定、実験カレンダーまで触れているか。“運用そのもの”より“運用の学習装置”をどう作るかを語れる代理店は、関係が長持ちする。

キックオフ90日のロードマップ

初期は設定と学習が重なる。計測の正確性を最優先に監査し、同時にベースラインの獲得効率を確立する。クリエイティブは量と質の両方が必要で、バリエーションを系統立てて増やし、継続的に弱者切りを行う。SPOは配信量が乗る前から設計だけ進め、在庫の棚卸しと許可リストの初期化を済ませる。週次の実験スプリントと月次の増分レビューという二重のリズムを走らせることで、短距離走とマラソンを両立できる。より詳しいテスト設計の基礎はABテスト設計の基礎にまとめている。

まとめ:任せるほど、定義と可視化を濃くする

任せることは、責任を手放すことではない。むしろ逆で、委託範囲が広がるほど、定義と可視化は濃くなる。KPIとイベントの同時設計、ログレベルのアクセス権、アカウントの所有権、SPOとブランドセーフティの方針、実験とMMMの併用、そして改善のリズム。これらを依頼前に言語化し、契約に落とし込めば、代理店の運用力は最短距離で成果に変換される。もし今、どこから手を付けるべきか迷っているなら、まずは自社側の計測仕様とデータアクセスのギャップを書き出し、次に許容CPAや最低ROIといった数値の合意に向けて下準備を進めてほしい。あなたのチームが設計した“学習装置”に、代理店のスキルが接続されたとき、広告はようやく事業の速度で学び始める。なお、本稿で触れた統計や事例は公開情報に基づくもので、各調査の最新状況は出典の更新情報も合わせて確認してほしい。

参考文献

  1. ISBA. ISBA’s Programmatic Supply Chain study finds match rate increases and reduction. https://www.isba.org.uk/article/isbas-programmatic-supply-chain-study-finds-match-rate-increases-and-reduction
  2. Marketing Dive. ANA programmatic advertising report: Crackdown on MFA. https://www.marketingdive.com/news/ana-programmatic-advertising-report-MFA-crackdown/701705/
  3. Dianomi. Made for Advertising websites (MFAs): What are they? https://help.dianomi.com/explainers/made-for-advertising-websites-mfas-what-are-they
  4. PR Newswire. New ad fraud study: 22% of online ad spend is wasted due to ad fraud in 2023, according to Juniper Research. https://www.prnewswire.com/news-releases/new-ad-fraud-study-22-of-online-ad-spend-is-wasted-due-to-ad-fraud-in-2023-according-to-juniper-research-301938050.html
  5. Campaign. Advertisers are wasting billions on Made-for-Advertising websites, says ANA. https://www.campaignlive.com/article/ana-advertisers-wasting-billions-made-for-advertising-websites/1827306