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IT資産管理で無駄な投資を防ぐ方法

高田晃太郎
IT資産管理で無駄な投資を防ぐ方法

海外の複数調査では、企業のSaaS支出のうち約20〜30%が未使用または過剰割り当てとして失われていると報告されています¹。加えて、監査や更新のタイミングで発生する想定外の支出は、年間ITソフトウェア予算の5〜10%に達するケースも示されています²。実務では、IDプロバイダ(企業の認証基盤。OktaやEntra IDなど)のログと請求データを突合すると、利用実態がないまま自動更新で積み上がるコストが可視化されるケースが少なくありません。SaaSの民主化と購買の分散が進むほど、Excel管理や人手による棚卸しは限界を迎えます。また、日本国内の調査でも、7割以上の企業が未使用のSaaSアカウントを保有しているとの報告があります⁴。可視化・最適化・運用自動化を一気通貫で回すIT資産管理(ITAM: IT Asset Management/SAM: Software Asset Management)の仕組みが、SaaSコスト最適化やライセンス最適化を通じてROIを押し上げる最短ルートになります。

なぜIT資産管理がROIを押し上げるのか

投資対効果(ROI)は、単純化すれば「どれだけ現金支出を抑え、どれだけリスクと工数を減らすか」に収れんします。IT資産管理の価値は、未使用ライセンスの解放、プランの適正化、重複機能の統廃合、そして更新・監査交渉のデータ武装に集約されます。利用率が低い席を上位プランから下位プランへ移すだけでも、ユーザーあたりの月額が20〜50%下がるといった報告が見られます²。さらに、人手の棚卸しを四半期ごとに自動化すれば、調達・情シス・現場の合計で数百時間/四半期規模の工数削減につながり、交渉準備に時間を割ける体制が整います。

ROIを定量化する際は、回避コスト、削減コスト、工数削減の金額化、リスク低減の期待値、そして導入・運用コストを一つの式に載せます。直感的に伝えるために、実務へ落とし込んだ形で示します。ROI =(未使用・過剰分の削減額+プラン適正化と統廃合による削減額+工数削減の金額換算+監査/違約金の回避期待値 − ツールと運用の総コスト)÷ ツールと運用の総コスト。例えば、従業員1,000人規模でSaaS支出が年間1.5億円、未使用・過剰が25%見込まれると仮定すると3,750万円の削減ポテンシャルが見えます。ITAMツールと運用に年間1,200万円を投じると、純効果は2,550万円で、ROIは2.1、初年度の回収期間は約6カ月という着地が一例として成立します。ここに更新交渉の前倒しと、ベンダー別の価格分布データを武器にした単価引き下げ(相場比5〜15%程度とされるケース)を重ねると、回収が90日まで短縮される可能性もあります。特にCIO-CFO連携による調達戦略の一体運用は、価格・条件交渉の成果を高めやすいと報告されています⁵。

SaaS偏重に見えますが、オンプレミスのサーバー・DB・仮想化環境にも同様の論理が当てはまります。保守契約のグレードダウン、コアライセンスの最適配置、DR用途の権利確認など、監査対応コストの予防がそのままROIを押し上げます。要は、あらゆるIT資産に「使用実態と契約権利の差分」を常時当てる視点が重要です。実際、オンプレミスでは「インストール済みだが未使用」のライセンスが大量に放置されているという過去の報告もあります³。

ビジネス側の合意形成と財務インパクト

ROIを最大化するには、CFOと事業部長が意思決定に参加することが不可欠です⁵。削減はコストセンターの努力で終わらせず、事業KPIとひも付けます。たとえば、セールスツールの席数を営業生産性の時系列と合わせて可視化すれば、席の返上が売上機会を損なわないことを説明できます。部門別の配賦コードと共通IDでアプリ利用を結び、財務帳票の粒度で「誰の何のための費用か」を示すと、抵抗は一気に減ります。可視化は説得の前提条件であり、交渉の場では「ベンダーの言い値」ではなく「社内の利用実態と相場データ」が基準になります。

現場への副作用を抑える設計思想

無断の席回収や急な権限ダウングレードは、現場の反発や生産性低下を招きがちです。そこで一定期間の非アクティブ条件を明確化し、事前通知とセルフサービス(ユーザー自身が必要権限を申請・再取得できる仕組み)での申請ループを用意します。たとえば、30日未使用で仮候補、45日で自動通知、60日で回収という段階設計にし、申請承認で例外を許容するやり方です。例外の透明化こそが運用の信頼を担保します。

実装の現実解:データ連携と可視化

うまくいくIT資産管理は、データの取得経路がシンプルで、識別子の設計が明確です。現代のSaaS中心の環境で効果的なのは、IDプロバイダのサインインと割り当て、SaaS各社APIの契約・請求・席割り当て、コラボツールのアクティビティログ、経費精算やカード明細のサブスクリプション支出、そしてMDM(モバイル/PCなど端末の統合管理)やEDR(端末上の脅威検知と対応)からの端末・ユーザー対応関係を統合することです。これらを共通ユーザーID、メールアドレス、コストセンター、部門コードで突合し、重複名や別名表記をアプリ辞書で正規化します。正規化とID設計が進めば、毎日の差分取り込みに切り替えられ、更新前の利用トレンドを高解像度で追えるようになります。

ダッシュボードは、全体支出、未使用・過剰の推計、上位10アプリの節約余地、契約更新カレンダー、部門別の席数とアクティブ率をワンクリックで横断できる構成が実務的です。重要なのは、抽象的なスコアではなく「返上候補の具体リスト」と「返上した時の金額効果」が同じ画面に並ぶことです。現場に渡すビューは、あなたのチームで今月返せる席はX、影響が出ない範囲での下位プラン候補はYのように行動へ直結させます。

データ品質でつまずく典型は三つあります。ひとつ目は「二重カウント」で、IDPとSaaSの双方から席数を数えてしまうケースです。基準系をSaaSの請求・席割り当てに寄せ、IDPは実利用の相関を取る使い方にします。ふたつ目は「ダミー/共用アカウント」の扱いで、監査観点と実運用の整合が崩れます。共用はポリシーで最小化し、やむを得ない場合はコスト配賦と責任者の明記を必須にします。最後は「支払経路の分散」で、カードや個人口座立替が影になります。経費精算データを毎月取り込んで、ベンダー名の正規化辞書を維持するとシャドーIT(IT部門の承認なく導入されたIT)の可視化が進みます。

オンプレ・ハイブリッドの取り込み

仮想基盤やデータベースのライセンスは、権利の数え方を間違えると一気にリスクが膨らみます。ソケット数、物理/仮想コア、DRやクラスタの権利、テスト/開発用途の区別をCMDB(構成管理データベース)と連携して明示します。インベントリはエージェントとエージェントレスの両輪で、収集不能な領域には調達台帳と保守契約情報を補完します。権利と利用のトレーサビリティを残す設計が、監査や更新交渉の防波堤になります。とりわけオンプレミスでは「インストール済みだが未使用」のライセンスが大量に見つかることがあり、定期的な棚卸しの効果は大きくなります³。

運用速度とデータ鮮度

更新交渉で勝つには、30/60/90日の予兆を捉えられるデータ鮮度が鍵です。毎日の差分取り込み、週次の最適化提案の生成、月次の部門レビューという三層のリズムが噛み合うと、現場の実態と交渉資料のタイムラグが減ります。鮮度の低いダッシュボードは、意思決定を遅らせるだけです。

継続的な最適化:契約、ライセンス、ガバナンス

契約は更新日の1年前からメタデータを整理し、6カ月前には利用実態のベースラインを確定させます。価格交渉は直前の駆け込みではなく、数量と単価の根拠をデータで提示できる時点で始めるのが理想です。複数年契約は価格固定の安心感がありますが、成長や再編で構成が変わる企業には柔軟条項とスケールダウンの余地を持たせたいところです。SaaSは年間の席変動が避けられないため、エラスティックな計上と期中の精算条件を重視します。

ライセンスの適正化では、アクティブ率に応じた席の返上、上位プランから下位プランへのダウングレード、権限の粒度見直しが主眼です。コラボツールではゲストや閲覧のみのユーザーを別枠に落とすだけで、月額の二桁%の圧縮につながることがあります²。CRMやBIでは編集・作成権限の適正化が効きます。権限の再付与はセルフサービス化し、審査ログを残すことでスピードと統制の両立が可能になります。

ガバナンスの軸は、人事イベントと連動したJML(Join/Move/Leave:入社・異動・退職)の自動化です。入社はロールベースで定義済みの最小権限を即時付与、異動は権限の移管を自動化、退職は資産回収とアカウント無効化をワークフローで縛ります。四半期ごとのアクセス再認証と、例外期限の自動失効で、いつの間にか積み上がる過剰権限を抑制します。自動化は削減だけでなく、情報漏えいリスクの低減にも直結します。

監視と成果測定:KPIとダッシュボード

成果は、導入前のベースラインと比較して語らなければ意味がありません。最初の四半期で「未使用・過剰割り当ての削減額」「上位10アプリの単価是正」「自動化により削減された手作業時間」「監査・違約金の回避額(または期待値)」を金額に換算し、翌四半期以降はランレートで追い続けます。SaaSではアクティブ率、席あたり単価、月次の純増減、重複機能の統廃合件数、更新90日前の交渉準備率が指標になります。オンプレでは保守比率の最適化、コア配置と権利の整合、監査指摘ゼロの継続が指標です。KPIは削減額とリスク低減、そしてスピードの三点で組み立てるのが管理しやすい形です。

可視化の成否を決める最後の要素は、役割別のビュー設計です。CFOは四半期単位のキャッシュインパクトと翌年度予算、CIO/CTOは製品群別の傾向と技術負債、部門長は自チームのアクションリスト、調達は契約更新のジャーニー、セキュリティは過剰権限とシャドーITのリスク、というように視点が違います。単一のダッシュボードで万能を目指さず、同じデータ基盤から複数の意思決定ビューを生成すると、会議が前提条件の共有からではなく、具体的な意思決定から始まるようになります。

期待できる成果と現実的な落とし穴

初年度の削減は全支出の10〜20%が一つの目安です¹。SaaSのスプロールが進んだ組織では、上振れすることもあります。一方で、正規化辞書のメンテナンスや部門との合意形成に時間がかかり、当初のロードマップが遅れるのはよくあることです。ここで重要なのは、最初の90日で目に見える勝ち筋を作ることです。上位3〜5アプリに的を絞り、未使用席の返上とプラン適正化で成果を出し、次に更新の近いベンダーの交渉にデータを持ち込む。小さく勝って仕組みを広げることで、抵抗は自然と薄れていきます。

まとめ:90日で回収の道筋を描く

IT資産管理は道具の導入ではなく、可視化から最適化、そして自動化までの筋道を通す経営の取り組みです。最初の一歩として、全体最適を焦らず、支出の大きいアプリに集中して実績を作るのが効果的です。IDと請求のデータを結び、未使用・過剰の差分を示し、契約更新の前に単価と数量を再定義する。データで意思決定を前倒しできれば、初年度10〜20%のコスト削減や短期回収の実現は十分に射程に入ります¹。あなたの組織で、今月もっとも費用対効果が高い見直しはどこでしょうか。ダッシュボードにその問いを映し、来月の更新に間に合わせる準備を今日から始めてみてください。

参考文献

各出典は公開年時点の情報であり、内容は更新される可能性があります。重要な意思決定の前には最新の一次情報をご確認ください。

  1. Roberto Torres. Nearly one-third of SaaS spend goes to waste, survey says. CIO Dive, 2021.
  2. Wayne Rash. Half of enterprises waste over 10% of their budget on software, SaaS and cloud infrastructure, according to survey. Forbes, 2023-03-14.
  3. TechRepublic. Half of software licenses unused.
  4. プレスリリース: 7割以上が、SaaSの未使用アカウントを保有(PR TIMES). https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000126.000072698.html
  5. KPMG US. The power of CIO-CFO collaboration: Tech ROI and business growth, 2025.