広告運用を外部委託すべきか?自社運用との比較と判断基準

約8割の大手企業が何らかの形で広告運用の内製(インハウス)機能を持つ一方で、実務の一部または大半を代理店へ委託している企業も依然として多いという調査結果が複数報告されています[1][2][3]。さらに、インハウス化で30〜40%のメディア運用コストを圧縮できたという報告がある一方[4]、外部委託によって立ち上げ期間を1〜3カ月短縮し、運用成熟度の差から広告費用対効果(ROAS:広告起点売上÷媒体費)が5〜20%改善するケースも示されています[1][5]。現場でしばしば直面するのは、費用率という単一軸では測れない構造的なトレードオフです。データ計測の精度が1%ブレるだけで予算配分の最適化は崩れ得ますし、組織のスキル負債はツールを積むだけでは解消しません。結局のところ、意思決定はアーキテクチャ、オペレーション、ファイナンスの三位一体で行うべきです。以下では、CTO・エンジニアリーダーが使える技術的かつ実務的な判断枠組みを提示します。
外部委託か自社運用かを分ける技術的論点
データ計測アーキテクチャと信号強度
議論の出発点はトラッキングの忠実度です。広告SDK(ソフトウェア開発キット)やタグの実装だけでなく、サーバーサイド変換(Meta Conversions API、Google Enhanced Conversions[5]、Conversion API Gateway[6]:サーバー側でコンバージョンを送信して計測精度を高める方法)、モバイルではSKAdNetwork 4/5(Appleのプライバシー重視の計測フレームワーク)への適合、WebではITP(Intelligent Tracking Prevention:Safariのトラッキング制限)とサードパーティCookie減衰への対策が必要です。自社運用の強みは、アプリやバックエンドの変更を迅速に反映し、イベント定義をプロダクト側のドメイン知識と密に結びつけられることです。一方で代理店は、媒体(プラットフォーム)ごとの変更点を横断的にキャッチアップし、ログレベルの最適化ルールや除外リストを短周期で展開できます。計測誤差が大きい段階では、アカウント構造の最適化やクリエイティブテストよりも、イベントの重複排除、遅延コンバージョンの取り扱い、アトリビューション(貢献の割り振り)ウィンドウの整合が効きます。ここでの実装スピードと品質保証の責任の置き場所が、外部委託か内製かの第一関門になります。
オペレーションのリードタイムと変更頻度
広告運用は意思決定の頻度が高い領域です。入札、予算配分、配信面の除外、クリエイティブ差し替え、計測タグの改修など、デイリーからウィークリーで繰り返されます。インハウスでは、開発チームとの距離が近く、仕様変更が必要な施策を短いリードタイムで回せます。代理店はSLA(サービスレベル合意:応答・復旧などの品質基準)で応答時間を切ることで、夜間や休日を含む運用の継続性を担保できます。たとえば、アラートのMTTA(平均応答開始時間)を2時間以内、重大インシデントの暫定対処をT+8時間、レポートの確定をT+1営業日とするSLAは、運用の品質を言語化するうえで有効です。変更頻度が高く、かつリリース依存の施策が多い場合は内製が有利になりやすく、媒体側のアルゴリズム適応や買い付け手法の変化が激しいときは代理店が有利になりやすい構図です。
ツールチェーンと運用コスト構造
コストの見え方は直接費だけではありません。代理店フィーは月額固定や媒体費の**8〜15%**に設定されることが多い一方、インハウスは人件費、採用コスト、教育コスト、運用ツールやBI(ビジネスインテリジェンス)コネクタのサブスク、クリエイティブ制作の外注費を合算して初めて全体像が見えます[4]。さらにエンジニア時間は最も高単価の資源です。サーバーサイド計測の構築、データクレンジング、ETL(抽出・変換・ロード)、データ契約(スキーマバージョニング、品質検査)、ダッシュボードの保守など、隠れコストを資本的支出と運用費用に切り分け、投資回収期間と合わせて評価することが必要です。代理店側のテクノロジー(自動入札、異常検知、クリエイティブスコアリング)の転用効果は、少なくとも最初の四半期において学習期間を短縮する作用が期待できます。
外部委託が向くケース/自社運用が向くケース
外部委託が適する条件
新規市場への参入や新媒体の導入など、未知の領域に素早く踏み込むときは外部委託が合理的です。媒体特性に対する事前知識や多様な運用ログが代理店側に蓄積されているため、テスト設計の初速とリスク回避が期待できます[1]。社内に広告運用者を複数名確保できず、レビューや休暇時のバックアップ体制を取りにくい場合も、運用の継続性をSLAで担保できる点は価値です。さらに、媒体や地域が多岐にわたる場合、ベンダーの調達、請求、通貨、税務のオペレーションを外部に逃がすことで、財務とコンプライアンスの負荷を抑えられます。プロダクトや計測の仕様が頻繁に変わらないフェーズでは、代理店の定型化された運用プロセスが効率を発揮しやすく、短期間での成果最大化に寄与しやすいでしょう。
自社運用が適する条件
プロダクトの改善サイクルと広告の学習サイクルを密結合させたいとき、インハウスは有利です。アプリやWebのイベント定義を成長モデルに合わせて頻繁に改定し、計測と入札の信号強度を上げ続ける必要があるB2Cやサブスクでは、その効果が顕著になりがちです。クリエイティブの検証からUX修正、価格やオファーのABテストまでを同じチームでオーケストレーションできれば、媒体のアルゴリズムに最小限の変更で最大の学習素材を供給できます。また、CDP(顧客データプラットフォーム)や社内の機械学習モデルと広告API(アプリケーションプログラミングインターフェース)を直接つなぎ、第一者データ(自社で取得したデータ)の活用を深められるのも内製ならではの強みです。プライバシー制約が強く、ブラックボックス化を最小化したい場合にも、ログレベルの可観測性を自前で確保できる利点があります。
判断基準フレームワーク:定量と定性をスコア化する
主要KPIと費用の見取り図
まずメトリクスを統一します。顧客獲得コスト(CAC:獲得関連費用の総和÷新規獲得数)は、媒体費、代理店フィー、クリエイティブ制作費、計測・ツール費、運用人件費を含めます。売上対広告費(ROAS)は単指標ですが、組織判断には売上対総マーケ費(MER:売上÷総マーケ費)の方が頑健です。キャッシュ回収の観点では、LTV/CACとペイバック期間(月数)を併用します。たとえば、代理店フィー**10%を上乗せしても、実験設計の品質向上とテストのサイクル短縮によりROASが10%**以上改善すれば、MERやペイバックで逆転することは十分に起こり得ます[4][5]。逆に、代理店を外しても計測誤差や学習リセット(媒体の学習フェーズが再開して効率が下がる現象)でROASが数%悪化すれば、節約分が相殺されることもあります。重要なのは、費用と成果を同じバケットで足し引きすることです。
スコアリングモデルの作り方
外部委託の適合度を0から100で評価するモデルを用意します。信号強度(サーバーサイド計測・重複排除・遅延処理)を20点、変更の多さとリリース依存度を20点、運用人材の可用性とバックアップ体制を20点、媒体横断の知見とテスト設計力を20点、SLAと可観測性(アラート、エラーログ、TTR:復旧完了までの時間)を20点の合計で評価すると直感に合いやすくなります。たとえば、信号強度が弱く実装リソースが限られている、かつ短期的な成長目標が厳しい局面では、外部委託スコアが70点を超えがちです。逆に、データ基盤が整備され、社内にメディアプランナーとクリエイティブの両輪がいる場合、スコアは40点を下回り、内製が優位となるでしょう。いずれにしても、評価は四半期ごとに見直し、KPIの変化と合わせて重み付けを調整します。
可観測性とガバナンスの要件定義
どちらを選んでも、データの可観測性を契約で担保します。API経由のログレベルアクセス、データ辞書とスキーマの凍結ポリシー、変更管理(Git運用やチケットIDの紐付け)、アラート閾値と通知経路、レポートの再現性(クエリとバージョン管理)、インシデントの事後検証と学びの再利用までを標準化します。代理店に委託するなら、媒体アカウントの所有権、支払いの名義、クリエイティブの権利、データの二次利用範囲、ベンダーロックイン(特定ベンダーから抜けにくくなること)の回避条項を明記します。インハウスなら、退職や異動によるバス係数(特定人数に依存するリスク)を下げるためのドキュメント整備、運用ルールの自動化、実験テンプレート化を進めます。可視化されたガバナンスこそが、後戻りコストを下げる最大の予防線です。
ハイブリッドという現実解と90日移行計画
責任分界とRACI、SLOの設計
完全外部か完全内製という二項対立から一歩抜け出し、チャネルや機能ごとに責任分界を引くのが実務的です。媒体アカウントの所有と支払いは自社、日次運用は代理店、計測とデータ基盤は自社、クリエイティブは共同といった分担はよく機能します。その際、RACI(Responsible/Accountable/Consulted/Informed)マトリクスで意思決定と実行の役割を明確にし、SLO(サービスレベル目標)として異常検知の平均検知時間、レポートの遅延許容、テストの最短リードタイム、クリエイティブの供給速度を定義します。数字で合意できない運用は、ほぼ確実に齟齬を生みます。
90日で判断と移行を両立する
最初のひと月は計測の健全化に集中します。既存のイベント設計を棚卸しし、重複送信の除去、サーバーサイド計測の導入、アトリビューションの整合を図ります[5][6]。この段階で、媒体別のテスト計画書とKPI定義を合意しておきます。次のひと月はテスト設計を高速で回し、クリエイティブのバリエーション、入札戦略、配信面の除外や拡張を系統的に探索します。この過程で、代理店の運用仮説と社内のプロダクト仮説を同じフォーマットで比較し、どちらの学習曲線が急かを見極めます。最後のひと月はスケールと制度化に充てます。SLAとSLOの実測値をレビューし、償却計画と人員計画を意思決定ボードに上げます。外部委託を継続する場合は可観測性の追加要求と費用対効果の改善計画を、内製へ切り替える場合は引き継ぎ計画、アクセスと資産の移管、プレイブックの完成度を基準に最終判定します。
リスクとレジリエンスの設計
短期の成果だけでなく、破局リスクにも目を向けます。媒体側の仕様変更やプライバシー法制の強化、計測のブラックアウト、クリエイティブ供給の逼迫など、外乱は必ず起きます。外部委託では、冗長化としてセカンドオピニオンの契約や監査可能なログを要求します。内製では、主要施策について二名以上の相互レビュー、暗黙知の形式知化、ダッシュボードのヘルスチェックを自動化します。レジリエンスを仕組み化しておけば、どちらの選択をしても回復力の底は上がります。
まとめ:迷いを構造化し、四半期で検証する
広告運用の外部委託と自社運用(インハウス)は、費用率の比較だけでは決まりません。データ計測の信頼性、変更頻度とリードタイム、ツールと人の総コスト、そしてSLAと可観測性までを同じ土俵に上げ、定量と定性のハイブリッドなスコアで意思決定するのが、CTOとエンジニアリーダーにとっての再現可能なアプローチです。まずは90日で計測健全化、テストの学習速度比較、運用SLOの実測という三点を回し、数値で合意できる運用に整えてください。あなたの組織で最大の制約は何か、そしてそれは代理店の知見で短縮できるのか、内製の密結合でしか解けないのか。問いを曖昧にせず、四半期ごとに仮説と結果を更新していけば、どちらを選んでも資本効率は上がっていきます。今日、まず見直すべきは計測の信号強度とSLAの現実性です。そこから判断は驚くほどクリアになります。
参考文献
- Web担当者Forum(Impress)「BtoB企業のWeb広告、約6割が『アウトソーシングで運用』。」2024年 https://webtan.impress.co.jp/n/2024/07/02/47278
- Unyoo.jp「運用型広告、BtoB企業の半数以上がインハウス化という調査結果に(Shirofune×Caster調査)」2023年 https://www.atara.co.jp/unyoojp/2023/03/programmatic_ad_insourcing/
- PR TIMES「BtoB企業のデジタルマーケティングにおけるWeb広告運用体制に関する調査(Shirofune・Caster)」2023年3月15日 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000092.000016578.html
- 富士フイルムビジネスイノベーション「広告運用内製化の実態と課題(コラム/ホワイトペーパー)」 https://www.fujifilm.com/fb/solution/ondemand/navigation-mktg/column/digital-marketing-wp04
- Google Adsヘルプ「About enhanced conversions」 https://support.google.com/google-ads/answer/9888656
- Meta for Developers「Conversions API Gateway」 https://developers.facebook.com/docs/marketing-api/conversions-api/guides/gateway