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SES契約社員を正社員化するべき?長期的視点で考える雇用戦略

高田晃太郎
SES契約社員を正社員化するべき?長期的視点で考える雇用戦略

2030年にIT人材が数十万人規模で不足とする公的推計は、採用と外部調達の前提を変えました¹。統計や各種調査が示すのは、社外の力を借りることが常態化する一方で、プロダクトの中核知識は社内に残さないと競争力が落ちるという相克です。多くの現場事例で見られるのは、SES比率が高い組織ほど短期のデリバリーは安定する一方、アーキテクチャやSREが外部依存になると、障害対応や技術負債の返済速度が著しく鈍る傾向です。労働契約法の無期転換ルール(5年)²や偽装請負回避³などのコンプライアンス要件も意思決定に影響します。つまり、正社員化は人情の問題ではなく、プロダクト価値の持続性と財務の再現性を両立させる投資判断です。

正社員化の意思決定を数字で捉える:TCOとROI

感覚論を離れて、総保有コスト(TCO:Total Cost of Ownership)と投資対効果(ROI:Return on Investment)で比較してみます。仮にあるSESエンジニアの月額単価が80万円、稼働が12カ月継続だとすると、年間の外部支出は960万円です。マージンが一般に20〜30%とされることを前提にすると、実働対価は概ね560〜640万円相当となり、差分は調整コストや供給リスク吸収の対価と捉えられます。これを正社員化した場合、年収700万円、法定福利費と間接費で約1.2〜1.35倍、育成・評価・労務運用の固定費を考慮すると、年次のキャッシュアウトは概ね900〜1,000万円台に収れんします。一見するとSESの方が安い計算にも見えますが、知識の内部化、オンコールや障害対応のリードタイム、コード・レビュー密度の向上といった無形資産の蓄積がROI計算を変えます。

例えば、コア領域の正社員化によってデプロイ頻度が週1回から週2回に増え、変更リードタイムが20%短縮、障害からの平均回復時間(MTTR)が30%改善したとします。プロダクトの年間売上が10億円で、機会損失とSLAペナルティが2%抑制できれば、2000万円相当の価値回収です。人件費の年差額が200万円だとしても、差額の10倍近い価値が創出される計算になります。研究データでは、チームの恒常性とコードオーナーシップが品質とスループットの双方に相関することが示されており⁴、DevOpsの実践度合い(デプロイ頻度・変更リードタイム・MTTR・変更失敗率)とビジネス成果の相関も確認されています⁵。短期のキャッシュフローでは拮抗しても、3年の複利で見ると正社員化が優位に転じるケースが多いのはこのためです。

採用費の観点も無視できません。民間の人事調査では、中途エンジニアの1人あたり採用コストは100万円前後と言われます⁶。SESからの正社員化は採用広報やエージェントフィーを削減し、カルチャーフィットの不確実性も抑えられます。オンボーディング期間が短縮されることで、実効稼働到達までのコストも圧縮されます。外部の変動費を固定化する代わりに、学習曲線とチーム学習の利得を取りにいく、これが数字で裏付けられた意思決定の骨子です。

コストの内訳を可視化する

SESにかかるのは単価×期間という明瞭な外部支出ですが、ベンダーマネジメント、契約更新の交渉、知識の流出リスク対応などの隠れたコストが付随します。正社員化側は固定費化と労務運用の負荷が増える一方、ナレッジの再利用回数が増え、内製ツールや自動化のレバレッジが効きます。シンプルなコストモデルで比較すると、同一職務で3年超の稼働が見込めるなら、正社員化のTCOが下回る分岐点を迎える可能性が高いことが分かります。もちろん、技術の陳腐化が早い専門領域や季節変動が大きい案件は、外部変動費として保持した方がTCOが安定します。

リスクは性質が変わる:供給リスクから稼働率リスクへ

SESの主たるリスクは供給の断絶と継続率です。契約更新のたびに熟達者が抜け、同等のスキルで再補充できる保証はありません。正社員化はこの供給リスクを軽減しますが、今度は稼働率とスキルミスマッチのリスクが顕在化します。ここで有効なのがジョブ型(職務定義を基盤とした人材運用)に近い職務定義と、スキルマトリクスによるアサインの柔軟性です。役割と期待アウトカムを明確化し、グレードごとに技術・行動要件をひもづけておくと、需要の波に対して人材ポートフォリオの再配置が容易になります。

正社員化のメリットと副作用:プロダクト、チーム、ガバナンス

プロダクトに近い領域では、アーキテクチャの意思決定や非機能要件の最適化が日常的に発生します。ここに長期コミットの人材がいない場合、累積的な設計判断の整合性が崩れ、技術負債が増殖します。正社員化はその連鎖を断ち切り、コードオーナーシップとレビュー文化の定着を促します。セキュリティやコンプライアンス面でも、社内に責任主体がいることで監査対応のスループットや是正の実行力が上がります。インシデントレスポンスやオンコール運用の内製化は、SLO/SLIに基づく運用改善の速度を高めます¹¹。知財の取り扱いが明快になり、競業避止の設計も行いやすくなります。

一方で、副作用も直視する必要があります。固定費の増加は景気変動に対して脆弱ですし、評価と報酬の運用が追いつかないと心理的安全性が毀損され、生産性が落ちます。ここで重要なのは、給与テーブルを上げること自体ではなく、価値に連動した報酬と成長機会の透明化です。社内のカレント技術に閉じると市場価値が逓減し、結果として離職リスクが高まります。外部カンファレンス登壇やOSSコントリビューションの支援、ローテーション設計など、内と外の学習を循環させる仕掛けが正社員化の効果を最大化します。

コンプライアンスも見逃してはいけません。労働者派遣法と請負の区分、指揮命令系統、機密情報の取り扱い、そして労働契約法第18条の無期転換ルールなど、法令に沿った契約・運用が前提になります⁷⁸。正社員化の検討過程で、現行の契約形態と実態に乖離がないかを点検すること自体が、ガバナンスの強化につながります。

ケース:中規模SaaS企業の転換シミュレーション

従業員200名、うち開発関連60名のSaaS企業を想定します。開発の25名がSESで、コアドメインの業務知識が分散している状況でした。プロダクトのMAUは右肩上がりですが、メジャーリリースが四半期に1回から年2回に鈍化し、障害の再発も散見されます。ここで、プロダクトに直結するアプリケーションアーキテクトやバックエンドのレビュー担当、SREの一部、QAオーナーを優先して正社員化しました。転換は12カ月かけて段階的に行い、オファーは市場中央値にストックオプションを加え、役割期待と評価の枠組みを入社時に明文化しました。シミュレーション上の結果として、デプロイ頻度は週次からほぼ隔日に、変更リードタイムは約25%短縮、障害からの平均回復時間は約35%改善、定着率は1年で95%を維持する想定です。人件費は前年比で約5%増加しますが、SLA逸脱によるペナルティと機会損失の減少、拡張機能の市場投入前倒しによる売上押上げが上回り、2年で正味の投資回収を達成し得ます。

どのロールを正社員化するか:ポートフォリオ思考

全員を正社員化すべきではありません。競争優位に直結する「コア」と、市場中立で外部化しやすい「コンテクスト」を分け、役割の重みづけを行います。プロダクト戦略に関与するアーキテクト、ドメイン知識を背負うバックエンドの主要モジュール担当、可用性と信頼性を担うSREやプラットフォームエンジニア、品質の基準を決めるQAリードなどは、長期的な連続性が価値に直結するため、正社員化の優先度が高くなります。逆に、期間限定の移行プロジェクトや、需要の波が大きいフロントのABテスト実装、レガシー更改の限定タスクのように、短期のスパイクで価値を出す仕事は外部に残す方が合理的です。データエンジニアやセキュリティは一概に決めつけず、保守運用は外部、設計・監督は内製といった分割も機能します。

判定の拠り所は、役割が成果に与える弾性とナレッジの再利用性です。同じ人がそこに居続けることで決定的に質が上がる領域は内製化し、アセット化しにくい単発の専門スキルは市場から柔軟に調達します。さらに、障害シナリオでの責任主体を洗い出し、オンコールやインシデントレスポンスで首座に立つべき役割は社内に持つのが望ましい¹¹。こうした線引きを一度言語化しておくと、現場の調達判断が属人的にならず、採用・育成・外部調達が同じ地図を見て動けるようになります。

評価・報酬・キャリアの設計を先に決める

正社員化は契約形態の変更ではなく、心理契約の更新です。ジョブディスクリプションで役割と期待成果を明示し、グレードごとに市場水準と連動した報酬帯を定義します。技術の深さと影響範囲を両軸に据えたキャリアラダーを提示し、テックリードやアーキテクトに進む道、マネジメントに進む道の双方で昇給・昇格の基準を透明化します。さらに、パフォーマンス評価にDORA指標(デプロイ頻度・変更リードタイム・MTTR・変更失敗率)やレビューの質、運用改善の貢献といった行動評価を織り込み、短期のアウトプット偏重を避けます⁹¹³。何にコミットすれば評価されるのかが明快であるほど、正社員化の受容度は上がります。

移行を成功させるオペレーション:12〜18カ月のロードマップ

まず、現行のSESアサインごとに役割、成果、依存関係、ナレッジの所在を棚卸しします。コア領域から順に転換候補を定め、本人の意向確認と、内製側で受け止める体制の整備を同時並行で進めます。オファー条件は市場中央値に対して職務難易度と希少性を上乗せし、ストックオプションやパフォーマンス連動ボーナス、学習支援費を組み合わせて、移行に伴う期待と責任のバランスを取ります。入社日は分散させ、オンボーディングはドキュメント、影付き開発、ペアレビュー、オンコールの段階的参加という順で負荷を上げます。ここで重要なのは、元のSES契約の供給元とも誠実に調整し、関係性の毀損を避けることです。出向や共同採用のスキームが使える場面もあります。

KPIは、採用や人件費の数値だけでなく、プロダクトと運用の実力に直結するものを置きます。デプロイ頻度、変更リードタイム、MTTR、変更失敗率というエンジニアリングの信号⁵、コードオーナー比率やバス係数¹⁰、レビューの待ち時間、eNPSや離職率、社内異動の充足時間など、人と組織の信号を組み合わせます。四半期ごとにベースラインと比較し、改善のボトルネックが採用にあるのか、設計とレビューの流れにあるのか、あるいはプロダクト戦略の優先順位にあるのかを分解していきます。転換そのものを目的化せず、プロダクトのスループットと品質に効いているかを検証し続けることが、長期の勝ち筋になります。

最後に、カルチャーの統合に投資します。意思決定の原則、技術的な美徳、レビューの作法、インシデントのふりかえり文化を明文化し、言葉だけでなく儀式として回します。元SESのメンバーがもたらす外部のベストプラクティスを歓迎し、内製の知恵と混ぜ合わせることで、チームの標準が一段引き上がります。これは採用広報でも強い物語になります。市場に対して「この組織は学習と責任を引き受ける場所だ」と示せれば、次の採用コストはさらに下がります¹²。

意思決定の拠り所:原則のリストアップ

意思決定を迷わせるのは例外の多さです。そこで、原則を短く言語化しておきます。コア領域は内製し、ナレッジの再利用回数が多い仕事は正社員化を優先する。需要が不規則で陳腐化の速い専門スキルは市場から調達する。人ではなく役割を正社員化し、役割が変われば再設計する。プロダクトのスループットと品質指標が改善しない転換は止める。これだけで、現場の判断が十分に早く、十分に正確になります。

まとめ:全員ではなく、戦略的に正社員化する

正社員化は道徳ではなく戦略です。コストは近接して見える一方、価値は複利で効いてきます。アーキテクチャ、信頼性、品質の意思決定を自分たちの手に取り戻すことが、3年先の競争力を決めます。逆に、すべてを内製化して固定費を重くするのも合理的ではありません。コアとコンテクストの線引きを言語化し、役割に紐づく評価・報酬・キャリアを整え、12〜18カ月で検証可能なロードマップを走らせてください。最初の一歩は大きくなくて構いません。現在のSES比率の高い領域から、プロダクト価値への弾性が大きい役割を三つだけ選び、本人の意向とチームの準備を整えて小さく始める。四半期ごとにKPIで効果を確かめ、うまくいくパターンを複製していく。正社員化は目的ではなく、プロダクトと組織の学習速度を上げるための手段です。次のスプリントレビューで、どの役割から着手するかを議題にのせてみませんか。

参考文献

  1. IPA. デジタル人材白書 2023(IT人材需給の見通しを含む). https://www.ipa.go.jp/jinzai/jigyou/digijinzai-hakusho/2023.html
  2. 厚生労働省(スタートアップ労働条件 Q&A). 無期転換ルールについて(労働契約法第18条). https://www.startup-roudou.mhlw.go.jp/qa/zigyonushi/pato/q11.html
  3. 厚生労働省. 労働者派遣事業と請負により行われる事業の区分に関する基準(周知資料). https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/haken-shoukai/index.html
  4. Bird C, Nagappan N, Murphy B, Gall H, Devanbu P. Don’t Touch My Code! Examining the Effects of Ownership on Software Quality. MSR 2011. https://ieeexplore.ieee.org/document/5787985
  5. Google Cloud. Accelerate State of DevOps Report. https://cloud.google.com/devops/state-of-devops
  6. Wantedly. エンジニア採用の平均単価|今後も上がるのか?コスト減の手法を解説. https://www.wantedly.com/hiringeek/recruit/engineer_unit_price/
  7. 厚生労働省. 労働者派遣法の概要と留意点(派遣・請負の適正な区分等). https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000172495.html
  8. ILO EPLex. Japan: Indefinite contract upon workers’ application (Labour Contract Act art.18). https://eplex.ilo.org/en/country-detail/?code=JPN&yr=2019
  9. Forsgren N, Humble J, Kim G. Accelerate: The Science of DevOps. IT Revolution; 2018. https://itrevolution.com/accelerate/
  10. Avelino G, Passos L, Hora A, Valente MT. A Novel Approach for Estimating Truck Factors. 2016. https://arxiv.org/abs/1604.06743
  11. Beyer B, Jones C, Petoff J, Murphy B, eds. Site Reliability Engineering: How Google Runs Production Systems. O’Reilly; 2016. https://sre.google/books/
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  13. Bacchelli A, Bird C. Expectations, Outcomes, and Challenges of Modern Code Review. ICSE 2013. https://dl.acm.org/doi/10.1145/2486788.2486823